2018年6月11日発行 週刊Vision岡山「テレワーク」
2018/10/22
「働き方改革」で脱価格競争実現した
テレワーク、フリーアドレスオフィスなど働き方改革にいち早く挑み、その成功事例をノウハウとして提案する㈱石井事務機センター(岡山市)。その独自の手法を生み出したのは、かつて価格競争に疲弊し経営危機を迎えた苦い経験を背景とした危機感だった。オフィス用品を売る事務機屋から、ビジネス自体の転換を成し遂げた石井聖博社長の決断を紹介する。
積み上げたもの捨てる覚悟が活路切り開く
物の商売から仕組みの商売への転換に挑戦
入社後まもなく訪れた経営危機
「会社を続けるのは難しい」-。入社3年目の2009年11月末、父英行社長に呼ばれ初めて会社の状況について告げられた。自社の状況を分かっていなかったことが情けなく、ショックは大きかった。「99年続いた会社をつぶすわけにはいかない」。2人で金融機関を回り、支援を要請。金融機関の回答は当然「このままでは無理」。突きつけられた条件は、「価格競争に巻き込まれないビジネスづくりをすること」だった。
同社は、明治44年(1911年)に、曾祖父哲司氏が筆などを扱う文具店石井弘文堂として創業。OA化が進む中、英行前社長の英断で、大手OA機器メーカーと代理店契約を結び事務用品・機器販売事業者に転換。事務用品のデリバリーサービスも堅調で、地域密着の事務機屋として業容を拡大してきた。しかし価格競争が激化し業績が悪化。2008年のリーマンショックで状況はさらに悪化し、資金が数万円しか残らないほど資金繰りが切迫。前述の事態に陥ったのだ。
金融機関の支援は取り付けたものの、条件の価格競争からの脱却は困難。2年間は「資金を回すためだけに仕事をしていた記憶しかない」という、厳しい経営が続いた。
2012年夏には運転資金が尽き、いよいよ不渡りを出す1週間前に、売り先を探していたかつて本社のあった岡山市南区浦安の社有地に買い手が付き、危機をかろうじて回避。決済後、手元に残った300万円を元手にOA機器の営業などで感じていた何を導入すればよいか分からず、導入しても活用できていない中小零細企業でのICT化の悩みに目を付け、日ごろの営業、納品で顧客を回るとともに、ICTに関する困りごとに対応する「パソコンパトロール」サービスを開始。利活用までサポートし顧客のICT担当者の代わりを同社が果たすアイデアは当たり、同年、翌13年と利益率は向上していった。
形ある商品からの転換
業績が徐々に改善する中2015年2月に社長に就任することになる。その中で、どうしてもぬぐえない思いがあった。「会社存亡の危機に与えられた宿題をまだ果たせていない」-。石井社長はICT商材も他社を寄せ付けないほどの強みがあるとは言えず、「いずれ価格競争に巻き込まれる。いつ転落してもおかしくはない」と、直近の業績向上でも、焦燥感をぬぐえないでいた。常に「もう2度と会社を危機に陥れたくない」という大きな不安にさいなまれていたという。「中途半端ではビジネスモデルの構築を達成することなどできない。顧客から選ばれるために売るべきものは何なのか。単に形ある商品ではないはずだ」とビジネスモデル転換を模索する日々が続いた。柱とするのは「より良い働き方の環境づくり」。それをどうビジネスに落とし込むか悩んだ。
折しも、子育て中の女性社員が子供の発熱などで休みがちになり、ほかの社員の負担が増加。その女性社員への不満が募り、職場の空気が悪くなるという悪循環が同社のオフィスで発生していた。その解決策として自宅で仕事ができるテレワークを導入。すると社員のモチベーション、生産性ともに向上した。「これはいける」-。
石井氏は、自社でオフィスが抱える課題を解決し、その成功事例をノウハウごと販売すれば、コンサルタントの机上の空論ではない「自社だけの商品になる」とひらめいた。商品単体ではなく働き方のルールづくりから社員の意識改革の手法まで顧客に販売する新たなビジネスモデルの誕生だった。売り方も訪問型営業でなく、自社を訪問してもらい成功事例を実際に見て体感してもらう来社型営業を発案。その構想を練り始めた。
背中を押した社員のエール
しかし、商品、売り方を変えるとなると、取り扱い商材も変わる可能性があり、これまで築いてきた仕入れ先との信頼関係が崩れるかもしれない。また、経営危機と新たにIT関連商品の販売に舵を切った時のように、多くの経験豊富な、そして信頼関係を築いてきた社員が離れていきはしないか。既存の事業でこれまで積み上げたものを捨てることへの不安と、責任の重さに、眠れぬ夜が続いた。
その時、若い社員らから上がったのが「挑戦しましょう」の一言。その声に「こういう社員のためにも実行しなければ」と勇気を振り絞り、石井氏はついに覚悟を決めた。 実は、石井氏は11年から全社員を対象にした面談を毎月行い、会社の方針の浸透と意見をくみ上げ、改善に生かすことを地道に重ねていた。ビジネスモデル転換構想についても、新たな経営方針の策定に生かそうと、綿密に意思疎通を図ってきた。その成果で、石井氏の思いは着実に社員に浸透していたのだ。
取引先についても、社員との意思疎通を図りながらまとめた経営計画を、詳しく、丁寧に説明し、「一緒に新たなビジョンを作り上げていきましょう」と呼び掛け、賛同する企業を増やしていった。
改革支えた未来志向
そして同社の事業領域を「笑顔あふれるワークタイル創造提案業」に定め、このビジネスモデルをスタート。テレワークの対象を全社員に広げ、帰社後の報告書作成などの作業を営業の合間に行うことで残業時間が40%削減されるなど事例を積み重ね、また翌年には事務所を働き方改革の実践・研究の場兼ショールーム「ワーク・スマイル・ラボ(ワクスマ)」として刷新した。効果を実感しているだけに、社員たちは自信を持って営業に励んだ。業務効率化、採用力向上など商品は多岐にわたり、17年度は300社以上が来社し、その4分の1を受注につなげるなど、大いに成果を上げている。
石井氏は、新たなビジョンを模索する際稚拙にしていたものがある。それは、未来志向。「現状をベースに考えていては足りないものしか見えてこない。積み上げてきたものを捨てる覚悟も持てない。第一ビジョンはわくわくするものでないとならない」と話す。そして、「社員の言葉に背中を押されたのも、社員がしっかり未来志向を共有してくれていたことが、心強かったからかもしれない」と振り返る。ワクスマでの働き方改革への挑戦は成功ばかりではない。80%が失敗に終わるという。しかし、それも貴重なノウハウ。同社の挑戦はこれからも続いていく。